NOVELS

究極の暇つぶしにどうぞ


Ringwanderung

 

 今日も朝がやってきました。

 時間はいつもぴったりの六時です。

 玄関を出ると、まず指先から凍るような冷たい風が全身に伝ってきますが毎日慣れている私にとって何のことはありません。太陽が照らすもすぐに薄暗い雲に覆われてしまうので春はまだまだ先のようです。

 腕にかけている白樺のバスケットの中には、たくさんの白い花束。この雪が降る北の大地にしか咲かない固有種です。巷ではなんとかのお薬の原料になるそうで大変貴重なものなそうですが、私としてはこの可愛らしいお花は大切に飾って愛でていただきたいものです。

 さて街の中心部に面した煉瓦敷きの通りに出てからも、私の足取りは変わりません。お客さんが話しかけてくるまで足を止めるわけにはいかないのです。次は集会所の横、小道を通り抜けて町長の屋敷の前を通り過ぎます。それから雪解けも浅い裏路地に入ると、大荷物を背負った行商人のお爺さんが曲がってる腰をさらに曲げて挨拶をして通り過ぎていきます。

 街の端っこまでたどり着いたら、そろそろお昼の時間です。今日もお客さんは1人もいませんでしたが、決められたこのルートを歩くのが私のお仕事なのです。

 記録を遡れば百五十日前にきてくれた初めてのお客さん。"依頼"なんて言っていたけれど、次はいつきてくれるのでしょう。

 

 陽の光がまた陰りを見せると、今日何度目かの強い風が街中に音を立てて駆け抜けていきます。通行人はそれぞれ帽子を押さえたり、服を押さえたり決められたポーズで文句を言うこともなく歩いています。これもすっかり見慣れてしまった光景です。

 気づいたらまた玄関からスタートしますが、朝とは違って今度は下街を通るルートです。あの初めてのお客さんは「見つけにくくて苦労した」と言っていましたが、心苦しくも私はお仕事をするだけなのです。

 

 こうしてまた街の端っこまで歩いていると夜になります。

 この街は特別に夜の背景が用意されていて、夜店や街灯の灯りで結構賑わっています。個人的に気に入っている景色ナンバーワンは中心街に伸びる大通り、その奥に佇む月明かりで青白く光る時計塔。街のシンボルというやつですね。いつかてっぺんまで登ってみたいものです。

 屋台から立ち上るいい匂いのする湯気をくぐり抜けて私は歩き続けます。夜はまた別の決められたルート。溶け残りの雪がまた凍りだすので滑らないように注意しないといけません。自慢じゃないですが一度もこけたことはありませんよ。

 通り沿いに並ぶ店の主人達が誰もいないところへとずっと喋りかけていますが、それが彼らのお仕事なのです。夜だけとはいえ中々大変なお仕事ですね。ちなみに何を言ってるのか全くわかりません。ただ悪い気はしません。

 小道に入ると今度は小さな黒猫が飛び出してきます。もちろん私は驚きません。寒さに凍えているようで足取りはゆっくり。これもこの子のお仕事なので仕方ありません。昼間に前を通った掲示板に迷子猫のポスターが貼られてますが、報酬はあまり高くないようです。

 

 見渡せばあの通行人も、あの行商人も、旅人も、子供達も、自分のお仕事をまっとうしています。嫌な顔ひとつせずみんな笑顔です。

 

 私は、朝昼夜と違う景色を見せてくれるそんなこの街が大好きです。それに音楽がとてもいいです。和みます。

 

 でも。

 いつからでしょうか。

 時折叫びたくなる時があります。

 毎日、毎日繰り返される日常をたまらなく窮屈に感じる時があります。永遠というのは残酷ですね。あのお客さんは次はいつきてくれるのでしょう。

 またお喋りというものをしてみたいです。

 私には決められた以外のセリフが設定されていません。

 この口から吐き出されるのは白い息だけ。

 春はまだまだ先のようです。

 

 

-イベントMOB少女A

 

 

**************

 

 頭がおかしくなりそうだ。

 安い油と粗悪なスピルナーのアルコールの匂い。男の怒声や品のない笑い声でごった返すテーブルの上には胃がもたれそうなでっかいソーセージとオオトカゲの姿焼き。

 俺は狭い厨房の中から唾を飛ばしながら従業員の女に大皿を運ぶよう指示をする。

 泡の溢れたジョッキをぶつけ合う音を尻目に汗を拭う。

 目下には背の低いキツネの獣人がお立ち台に乗りながら身の丈もありそうな中華鍋を一生懸命振っていた。ヒゲの先が焦げて縮れてしまっているのだが誰のせいだろう。

 俺はそいつの後ろを自分の大きく育った土手っ腹がぶつかるのも気にせず通り過ぎる。なんか悲鳴が聞こえた気がするが知らん。

 寸胴鍋から湯気だったスープをかき混ぜ、塩か砂糖かもわからない白い粉を汗と一緒に振り掛ける。

 キッチン台の上では猿が三匹、手と尻尾を使って器用に包丁を振り回し、古今東西の野菜を大量に切ってる。どうせ客なんて見知った人間しか来ないのに。

 重鈍な己の身を捩ってオーブンの火加減をチェック。そして皿洗いをしているアライグマの尻尾を踏んづけながら冷蔵庫の前に移動。文句を言ってくるそいつを干し肉で宥めてから、取り出したのは酒瓶。客前に出すものとは違う上物だ。これがないととてもじゃないがやってられん。

 毛むくじゃらの腕で口元を豪快拭って店内を見わたす。猿の一匹が酒瓶を渡せと要求してくるが無視。

 先ほど吹っ飛ばされたキツネの獣人がようやく元の位置に戻って鍋を振ろうとして---その後ろを盛りつけ終わった大皿を運ぶドワーフたちが勢いよく駆け抜けた。結果は見るまでもない。

 そして従業員の女に大皿を運ぶように唾を飛ばすのだ。

 これの繰り返し。

 毎日毎日同じ音楽が頭に流れてきて、いい加減うんざりだ。

 体に染み込んだ動作。

 代わり映えのない客の顔ぶれに、同じ返事しかしないウエイターたち。遠くで殴り合いをしてる酔っぱらい同士のいざこざも、食器が擦れ合う音も全てが耳障りだ。

 

 だからある日初めて店の入り口から人が入ってきた時には持っていた皿を取り落としそうになった。いやもちろん俺にはそんなモーション設定はされてないので気の持ちようだ。

 勢いよく入ってきたそいつらは二人組の少女だった。白いシャツに膝丈の黒のスカート。片方はどうやって染めてるのかわからない艶やかな空色の外套を肩で着崩してる。

 若いを通り越して幼い。どこかの貴族の学生が迷い込んできたのだろうか。粗暴で無法者が集うこの下街で武器一つ持ってる様子がない。

 明らかに浮いている。髪の毛の色だってこの辺りの人間ではない。猛獣の檻で小動物を見てるようだ。

 そんな仔猫二匹がカウンターまで遠慮なく近づいてくるものだから、周りの猛者どもがドヨドヨと騒ぎ立てる。

 足を引っ掛けて転ばせようとするやつもいれば、いやらしく口笛を吹いて囃し立てる馬鹿たち。絵に描いたならず者だ。

 そして俺も例にもれず用意されているセリフを吐く。

「うちにミルクは置いてねーよ。ここじゃ酒を頼みな」

 自分の喉から自然に飛び出た言葉に自分で驚く。

 言えるじゃないか。

 俺できるじゃないか。

 言えたよ! 俺言えたよ!

 顔には全く出さないが(でないが)心の中では少女二人を肩に乗せて小躍りしてる。

 俺の言葉に反応するように店内中が汚い笑い声で満たされる。

 お前らそんな顔もできるじゃねえか。

「あなたがここのマスターですか?」

 髪の長い方が意にも返さず淡白に質問してきた。

 どう見ても華奢な体躯に、喧嘩もしたことなさそうな綺麗な手脚ーーーいや、よく見ると肘から先、片腕が無い。シャツの袖からあるはずのものがない。

 気の強そうな瞳の奥に見え隠れする不安と覚悟。歳不相応に苦労してるのかもしれない。

 その後ろで隠れるようにして髪の短い方がおどおどと周りを見回している。こっちは年相応。

「マスターなんて洒落たもんじゃねえが・・・・・・情報か?」

 俺はキメ顔でそう言った。

 

 

 

-酒場の店主-

 

**************

 

 教会のステンドグラスは今日も素敵に輝いております。

 毎日のように磨き上げられた大理石の床、蜜蝋でツヤがかった長椅子。

 教壇にさす淡い日の光が反射して、教徒たちの頭上に降り注ぎます。

 この地区のほとんどの民が主上へリアルの信徒でございます。

 皆真摯に頭をさげ、司祭様から発せられる神の言葉を代筆したと言われる美しい祝詞に耳を傾けています。

 数々の神聖なる人物を象った彫刻が施された壁。その反響の中で心が浄化され、全ての悩みや先々の不安から解放されるのです。

 ああ、なんて素晴らしいのでしょうーーー

 と思っていた時期がわたくしにもありました。

 もう限界でございます。

 延々と停滞しているような時間の流れで、ただただ教えが垂れ流されているこの空間。

 とうに飽きました。

 なんでしょうかこれ。日が登り始めてから落ちるまでずっと同じことを喋ってます。

 なんの罰でしょうか。

 自慢ではないですが、わたくしは人一倍敬虔な信者だと自負しております。

 それなのにどういうことでしょう。神々のありがたいお言葉が最近苦痛にしか聞こえません。もはや腹立たしくもあります。神に見放されているとしか思えません。

 あれ、わたくし信徒ですよね?

 こうしてる間にも司祭様の声が憎々しさをまして襲ってきます。耳を塞ぎたくても、わたくしの両手は祈りを捧げるために硬く握られているので働いてくれません。

 助けてくださるはずの主がわたくしを苦しめているこの状況。

 そんな毎日にほとほと疲れていたある日のことです。二人の見慣れない格好をした参拝者が現れました。どうやら女の子のようです。片方は気の強そうな吊り目、もう片方は手を引かれながらおずおずとついてきます。

 わたくしたち信徒が祈りを捧げている間を抜け、司祭様の前まで迷いなく歩いて行きました。なんと恐れ多いことでしょう。

 よく見れば吊り目の少女には片腕がありませんでした。わたくしくらい敬虔な信徒になれば祈りの最中であっても頑張れば薄目を開けて見ることぐらいはできるのです。

 しかし会話の内容まではここまで聞こえてきません。何やら揉めているようです。

 もちろんこんなこと初めての経験ですし、司祭様が他の言葉を喋ってることも新鮮です。なかなか汚い言葉を吐かれていらっしゃってますが大丈夫でしょうか。汗が止まりません。

 どんどん雲行きが怪しくなっていくところで、片腕の少女が突然高々に叫びました。

 すると驚いたことに気の弱そうな少女が司祭様に向かって液体の入った瓶を投げつけたのです。おそらく慣れてないような不器用なエイッという掛け声。勢いが全く無いながらも、蓋の開いた瓶の口からは確かに水が吐き出されました。

 たった数滴です。

 司祭様の叫び声が教会を満たしました。

 それはもはや人間の声ではありませんでした。

 みるみるうちに水の触れたところから皮膚が変色していき、焼け爛れていきました。衣服が乱れ不恰好にのたうち回ってます。明らかに普通の反応ではありません。

 そこに残ったのは骨と腐った皮膚。巡礼で一度だけ訪れたことのあるスラム街よりも強烈な腐臭が鼻をつきます。

 それがカラカラと音を立てて立ち上がったのですからあたりはパニックです。

 若いシスターが悲鳴をあげ、年配のシスターはその場で気を失って倒れました。

 しんしんとしていた教会が一変にして阿鼻叫喚。まさに逃げ惑うというのはこのことを言うのでしょう。

 司祭様の近くにいた取り巻きたち--上級信者は呆気に取られてまだ事態が飲み込めてません。ずっと目の前にいた教主がアンデッドだったのですから仕方ありませんね。

 気の弱そうな少女がまたどこから取り出したのか、追加の瓶を司祭様--だったものとその取り巻きたちに振りかけていきます。目を瞑りながら子供が駄々をこねるような仕草で四方八方にです。

 初めはキョトンとしていた彼らでしたが、事態はさらに深刻になりました。なんと上級信者までがあの不思議な水に反応して悶え苦しみ出したのです。

 地獄絵図。

 わたくしが今まで信じて従ってきたものが全て突き崩されたような感覚。

 ここでわたくしは気づきました。いついかなる時も司祭様の声と一緒に流れていたアレ。そうなのです。頭の中で延々と鳴っていた音楽が変わっていたのです! 

 神々しい讃美歌とは違う、鬼気迫る激しい音楽。旋律をかき乱すような不協和音と、木の棒を動物の皮に叩きつけるような断続的な破裂音。おそらく異国の音楽でしょう。

 けれどわたくしは不思議と高揚しておりました。この場では逆に冷静と言い換えてもいいかもしれません。

 我を忘れて暴れ出すアンデッドたち。

 片腕の少女の足元に青白い魔法陣が出現し、細かい光の粒子がその白骸骨たちに纏わりついております。

 歪な紅黒い瘴気が浄化される度に、存在の核である魂までもが少しずつ削られていくようです。

 喉の肉が腐り落ち悲鳴も上げられず、眼球のあったはずの穴からは黒い涙のような液体が流れています。

 --ああ、なんて哀れなお姿。

 それでもアンデッドたちは少女二人に襲いかかるのをやめません。苦しむとわかっているのに、抗えない何かから突き動かされるかのごとくその脆く崩れそうな白腕を少女たちに伸ばすのです。

 わたくしの足は自然と壇上へと向かっていました。

 この子達は神が使えた天使なのかもしれません。ちょうどステンドグラスで屈折した青白い線が後光となって少女を淡く包み込みました。これほど聖なる空間がありますでしょうか。

 今までずっと信じていたものには裏切られましたが、しかし神はそこにおられたのですね。

 信仰の根源となるものは変わらず、こうして再び敬い愛することができることに胸が締め付けられ感謝の念が溢れ出します。

 延々とも続くと思われたあの時間は、神から与えられた試練だったのかもしれません。それがようやく報われる時が来たのです。

 わたくしが歓喜に震えながら壇上に上がると、気の弱そうな少女がこちらに振り返りました。

 少々猫背気味ではありますが、凛々しくもあり年相応の可愛らしいお顔立ちです。

 それなのに--

 悪寒。

 そこで『気の弱そうな』というのは間違えであることに気づきました。

 心ここに在らず。

 彼女の瞳にわたくしは映っておりませんでした。

 あるのは諦念だけです。

 わたくしはその感情をよく知っているはずでした。先程までわたくしも同じような目をしておりましたでしょう。

 ただ違うのは、わたくしとは比べようのないくらい長い時間の中に囚われた深い絶望の色です。

 悲しみや怒りでは表現することのできない狂気を超えた無表情。

 アンデッドは確実に数を減らしていますが彼女の表情が晴れることはありません。どこまでも飲み込まれそうな深い瞳の黒色がわたくしを見つめています。

 彼女を救わなければ。わたくしはそのために生まれてきたのだと、そんな気さえします。

 振り返ったのも偶然だったのかもしれません。いや、彼女はわたくしが近づくいてくることを初めから知っていたのかもしれません。

 それでもいいのです。神がわたくしを救ってくれたように、彼女は救われなければなりません。

 たとえ無駄と分かっていても、それが予定調和だということが分かっていても、わたくしはその少女に手を差し伸べるのです。

 痛み。

 途端にわたくしの腕が焼け爛れました。

 一瞬です。

 皮膚が侵され、肉が腐っていくのがわかります。

 --ああなんと無慈悲な。

 現実は残酷でした。

 自身の手を見つめます。

 指先は白い骨が浮き出て、もう元に戻しようがありません。身体中からほとばしるドス黒い業火。

 --始めからわたくしに神の祝福などありはしなかったのですね。

 いつのまにか光の球が全身にまとわりついてました。その場に固定されたかのように身動きが取れません。ですが不思議と苦しくはありませんでした。

 目の前の少女の手には液体の垂れた瓶。それが本来の神である御許の聖水だということは、この身が本能で忌避していることからすぐに理解します。

『さよなら』

 その少女が微かに唇を動かしたのが分かりました。

 よかった。わたくしは心の底から安堵しました。

 そして全てを受け入れることにしました。

 どうかこの子たちに悠久の幸あらんことを。

 そこからわたくしは静かに--

 

 

 ーシスターB

 

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